※お食事中の方には不適切な表現が多々ありますので、事前にご了承願います。
トライスロン種目でSwim、Bike、Runでどれが一番得意かと聞かれれば、
「うーん、強いて言うならRunかなぁ。」
といつも答える。
Swimはほらカエル泳ぎだし、Bikeはいつも抜かれっぱなし。
でもRunは一応Bostonマラソンにも出れたので、自分で言うのもなんですが中の上の下くらいだと思っているのである。
でもそこはトライアスロンの難しいところ。
Runが最終種目なのでそこまでスタミナが残っていなければせっかくRunが強くても何にもならない。
あと、Bikeの直後に走るのは普通にマラソンするのと全然違うのだ。
トライアスロンでBikeとRunのコンビネーショントレーニングをBrick(レンガ)と呼ぶ。
何故なら走り出しは足がまさにレンガのように重いから。 ※これ自分でこじつけてます。未リサーチ。
Half IRONMANでもRunはすっごく重いので、今回のレースはもう予想を超えたBrick状態なんだろうなぁ、とかなり覚悟をしていたのである。
ま、前書きはこれくらいにしておいて、レース最中に話を戻す。
Runバッグを掴んで着替え用のテントに入る。
やっぱりテントはもう混んでない。
今回の衣装(!)はビキニが基本だったので、ビキニの上のバイク服上下を脱いで再びビキニに。
そして着るのはやっぱりランスカ。
これはToughmanと同じウェア。上はビキニのままで下は茶色のランスカ。あと白のキャップ。
頭に気合の水をかけて、
約3分というすごく短いT2(Transit2)を経てRunをスタート!
これからフルマラソンを走りきるのだ。
で、覚悟していたBrick脚、
「アレ?なんか思ったより軽いんですけど???」
サッササッサ金鳥サッサと脚が前にすすむ。
自分でもビックリ。
「完走はできるな。」と確信した瞬間。
Runは海岸沿いを北上し空港を通り過ぎて折り返すコースを、これまた3周。
走りはじめはゴール地点と同じなので、沿道の応援はものすごい。
「Vamos!Vamos!(Go!Go!)」とゼッケンの名前まで叫んで応援してくれる。
特に地元のチビッコたちが大声で応援してくれる姿には本当に心を打たれる。
思うに、マラソンとかトライスロンをする人はレースで応援があるからこそレースに出るのではないかと思う。
だって応援がなければ練習と同じだもん。
Runのコースはフラットで終始とても走りやすかった。
おまけにエイド・ステーションが1km毎と非常に手厚い。
最初のエイドを過ぎた頃、
ピィ~、ゴロゴロゴロ
雷ではない。
自分のお腹であった。
Bikeは前かがみだからブツがとどまっていたけど、Runで垂直になったから重力の思うがままになったのである。
「う、トイレ行きたい。」 ※ A
幸運にもエイドは1kmごとにあるのでトイレもあるはず。
「あ、あったあった!」
駆け込んだはいいが、
...紙が無い...。
で、けっかくのトイレは通り過ごしてまた走り出す。
「あ、次のトイレ!」
また、紙が無い。
1周目7kmぐらい走ったところにようやく紙発見!
2人ぐらい並んでいたけど、この紙があるトイレを逃したらもう最後な気がして、覚悟を決めて並ぶ。
まさに”用を足し”て、は気分もスッキリ。
いい気分で走り出したはいいが、
数km後、また調子が悪くなる。
トイレを発見するが3人くらい並んでいる。
そんなところで10分も費やすのはイヤだったので、また走り出す。
※Aに戻り、これを繰り返す。
エイドには私のマラソン時の大好物、オレンジが並んでいる。
でも、そんなオレンジには手をつけられず、しかも水すらも飲むとお腹に直球なので、なるだけ控える。
1周目、2周目はトイレ探しで終わった。
3周目はさすがに走ってる人も応援の人も減ってきて、夜も’とばり’がすっかり降りた感。
ランナーはもう歩いている人のほうが多いくらい。
でも、私は勢い衰えずに走った、走った、走った。
何故なら、
トイレに行きたかったから。
自分でいうのもなんだが、Runではゴボウ抜きだったと思う。
軽く100人以上は抜いている。
何故なら、
ずっとトイレを求めて走っていたから。
マラソンでも30kmを過ぎてからは辛いなぁ...と感じ始めるのだけど、今回全く緊張の糸が途切れなかった。
3周目ですら疲れたとは感じなかった。
人間は何か強い目標があると余計な事は頭に入らないと言われるが、それは本当だと思った。
私の場合、それは、
トイレ
だったのだ。
変な話、初めてのIRONMANでRunを4時間半以内で終われたのは、WCまっしぐら...だったおかげかな。
そんな惨事のRunであったが、3周目も最後に近づき、CityHallのゴールが段々近づいてくる。
「あぁ、やっとゴール。もうちょっとで終われるよーーー!」
最後の力を振り絞って走った。
するとゴール直前に前方に手を振ってコースに出てくる男が。
Leeだ!
Leeが何やら一生懸命叫んでいるが、実はちょっとコースの邪魔だったので、「あー、横のいてのいて!」と振りきってゴールへ。
角を曲がるとFinishのゲート。
「日本から来たYabyがゴォーーーーーール!」
とアナウンスが流れ、同時に13時間35分のレースはそこで終わった。
ゴール直後は倒れる人が多いので、メディカルの人たちが「あなた大丈夫?ほんと大丈夫?」としつこいくらいに聞いてくるのだが、
そんなのはよそに、私の頭のなかでは’ノーサイド’(by ユーミン)が流れ始めていた。
♪ 彼は目を閉じて~、枯れた芝生のぉ匂い~、深ぅかく吸ぅった~ ♪
もう何も耳には入らずに自分だけの世界だった...。
という事は全く無く、
メダルをさっさともらって記念写真へ。
そしてごはんコーナーへと進むのだが、もちろん目もくれずに素通り。
(だからごはんコーナーは何があったのか知らない。私としたことが面目ない...)
私の行きたい四角いBoxがいくつか並んでいたのだが、お食事中のみなさんの真横だったので、素通りして選手村の外に出ることにした。
ここで問題だったのがLeeとBarbaraがいつここにやってくるか。
何せ年寄りBarbaraとトロいLeeのこと、しばらく待てど姿が見えず。
自転車もその夜に持って帰らないといけないので、もー待ちきれずにBike車庫へ向かう。
そして、その後Hoteにひとりで帰ってしまった。
ま、あとでまた戻ってくればいいしさ、なんて思ってたし。
Hotelの部屋でちゃんと座って(コースのトイレは決して座らないのである)落ち着いて用を済ませ、
軽くシャワーも浴びたら、もう戻るなんて考えは起こらずに、ただベッドに倒れこんだ。
半分寝てたような意識不明だったようなそんな40分後、電話が鳴った。
Leeだった。
メディアカルテントとかいろいろ探し回ったようだが見つからなかったので誰かの電話を借りてHotelに電話してきたそうだ。
2人が帰ってきて、どんだけエマージェンシーだったかをとくとくと説明した。
勝手に戻ったのは申し訳なかったが、今回は不可抗力。
「無事でよかったよー。とにかく完走おめでとう!」と言ってくれた。
そしてBarbaraが下痢止めの薬をくれた。
その錠剤を飲むことが長かった1日の最後のアクティビティーとなり、人生最初のIRONMANチャレンジの日は幕を閉じた。
メダルと女子だけもらえた貝のペンダント
実はまだ続くんだよ。
No comments:
Post a Comment