Friday, August 11, 2017

ウルトラバイクレース IncaDivide2017 レースレポート8


8.おわりに

 IncaDivideレースはあまりにもスケールが大きくて特に私は25日間もかけたので、多くの人は完走したことを驚いているのではないかと思います。正直私も完走できる確信はありませんでした。

 そこで、少々硬い内容ですがどんなアプローチで臨んだのかをここで少しだけ。私の仕事はITProject Managementなので、これも“カットオフ内に完走する”ことを目的としたProject Managementとして考えました。Water Fallというメソッドを適用して、これは事前に最後までの行程を全て計画して現地ではそれに沿って実行していくというものです。計画にあたっては様々な情報集めをして予想するリスク等々を加味していくわけですが、何よりも重要なのは、“やれないことは最初からやらない”ということです。
 現地事情を知らないわけなので、じゃあやれるやれないはどうやって判断すれば?という話になりますが、私の場合1日に平均150㎞程度は乗らないと間に合わないので、荷物なしで高地でもない176(110mile)3,300m(10,000ft) Elevation Gain のコースを休憩合わせて10時間以内でこなせないとまず無理だろうと位置付けました。このプラクティスはもちろん申し込みの前に試してます。そう計画はしても、実際現地では思いのほか時間がかかったり犬に嚙まれたりと予測してなかったことが多々起きたりしたのですが、もうそれは臨機応変に対応して調整するしか方法はないです。

 「やめたいと思ったことは?」とレース後のインタビューで聞かれましたが、やめたいと思ったことは無かったです。これまでにレースという名がついているもので自分でやめたことは一度もないので、今回もレースだったし条件がそろっている限り完走するのは当たり前としか思っていなかったです。
 その条件とは3つ。1.バイクが乗れる状態 2.身体がバイクに乗れる状態 3.iPhoneがちゃんと使える。その条件が揃っていたからやめる理由も見つからなかった、とも言えるかもしれません。
 それに、例え山奥でガタガタ道でウゲゲ~と意気消沈したとしてもそこで一生止まってるわけにもいかず、どのみち次の大きな村まで自分で行かなければいけない。そうしたら、そこはその日の目的地だからとりあえずまあ食べて休もう、という具合になるわけです。結局は11日のリセットの繰り返しという事なんですね。だからこそ無理した行程は避けてメンタルでもフィジカルでも次の日に影響させないようにする事は大事でした。


 うんちくはこの辺にしておいて、来年のレースについてアップデータがあるので共有しておきます。このレポートで少しでも多くの人がこのレースに興味をもってくれたら良いなぁと思っているのですが、1か月もお休みを取れる人はそうそういません。が、そこで朗報です。
 来年のIncaDivide10日間のカットオフで距離も短くスタートも低地からにするそうです。だから数日前に現地入りしなくても乗りながら高地に順応していけるようです。往復フライト合わせて2週間のお休みで完結できるのではないでしょうか。
 またスタートとフィニッシュを同じ場所にするので、フライトやバイクのロジスティックについて面倒な事も考慮しなくてもよく、そして何よりも、舗装してない道はたった10数kmだそうです。それなら普通のロードバイクでも耐えられそうですね。(※現地にはチューブすら売ってないのでその点はご留意を)
 但し、距離単位の獲得標高数(Elevation Gain)と高度はきつくなるようです。それと引き換えに息をのむアンデスの景色がそこには待っているそうですよ。
 まだ詳細は詰めてる最中だそうですが、適宜Bikingman.comを見てください。News Letterにサインアップしておくのもお薦めします。そして、まだ見ていない人はこの動画も是非ご覧あれ。


 最後に、このレースを通して自分の中で何が変わったかというと、何てことはないとてもシンプルな事でした。改めて大事だと気付かされたのは、

“家族(Leeとワンコたち)を大事にして地道に生活する“

という事でした。


~おしまい~


ウルトラバイクレース IncaDivide 2017 レースレポート7




7.旅情編

これはレース以外のちょっとした事のメモ。



 大抵の人は、「南米?大丈夫?」と言う。私も隠し金をいろんなところに入れておいたりして、いざとなったら20ドルくらいは渡せるようにいつでも出せる財布に入れておいたりもした。でも、そんなシチュエーションはめぐってこなかったし、むしろローカルの人々にいつも助けてもらってばかりだった。


 道を聞いただけでも、“そこ。”っていうだけでなくて、「そっちだよ。こんなこんなだから気を付けてね。」とか、CuscoPlaza de Armasに行く直前もおじいさんに道を聞いたら「ここをまっすぐに行けばいいだけだから。でも逆走で車も多いから歩道を走りっていきなさいね。」とかアドバイスしてくれる。そんなんだからあの25日間は毎日人々とのふれあいの連続だった。EcuadorPeruもいつもいつも人々は温かかった。


 エクアドルでは、Quitoで泊まったHotel Muros Plaza Quitoのオーナーはえらい大変なレースに出ることを知って朝食にオムレツを卵4個ぐらいで作ってくれたり、スタートの朝も4時とかですごく早かったのに先に起きて見送ってくれたりとか。そして、Quitoのサイクラーの人たち(JoseCeciliaChris)は、スタートしてからしばらく一緒にしばらく並走してくれたりとかもした。


 スペイン語がわからない私にも、どんなお店も銀行ですらも誰もが親切で正直だった。Cajabambaのフルーツ売りのおばちゃんは、1ドルぽっちのバナナでさえお釣りのコインわざわざ探してきて渡してきた。3本で1ドル払うっていうつもりだったんだけど。ありがとう。


  他に親切だったのは、レース中3回立ちゴケしたのだけどいつも誰かがすぐ寄ってきて助けてくれた事。3回目は、激坂を上がろうとしてる時にリアチェーンが落ちてしまってロックされた状態になってしまいそのまま道で左に倒れていった。幸運にも後ろからは車が来ていなかったのだがちょうど反対車線からは乗用車が来ていて、中に乗ってた二人がわざわざ車を停めて出てきてくれた。クリップを外したりバイクを起こしたり助けてくれて、ケガはないかとか水飲んだらとか車で乗せて行ってげようかとか、まるでプライベートクルーのようだった。

 人々は話好きなので、そんな助けてもらった時や小休止でお店に寄ったときはちょっとした会話が始まる。スペイン語ができないながらも適当に話す。例えばEvil Gravel100途中のある村では、売店でミカンを買い食いするところにPoliciaの兄さんらがその隣にちょうど居合せた。叫んでも店の人が誰も来ないからPoliciaの兄さんがそれらしき人をわざわざ呼んでくれた。ミカンを食べていると、こんなような会話が始まる。
 おばちゃん:「どっから来たの?」
 私:「USAだよ。でも日本人だけどね。」
 Policia兄さん:「どこまで行くの?」
 私:「今日はHuanuco。でも最後に行くのはCuscoまで。」
 Policia兄さん:「Cuscoか!そりゃあ遠いな。他にはいるのか?」
 私:「他にレースしてる人はいるけど、もっと先走ってるよ。」
 おばちゃん:「(Policia兄さんに向かって)、あんたの嫁にちょうどいいんじゃね?」
 Policia兄さん:「(おばちゃんに向かって)、日本人がこんな山奥に嫁に来ないよ~。」
 Police兄さん:「だんなはいるのか?」
 私:「いるよ、USAの家に。アメリカ人だよ。」
 Policia兄さん:「道中ひとりで大丈夫なのか?途中まで乗せていってあげようか。」
 私:「大丈夫だよ。でもこのガタガタ道はもう勘弁だけど。。。」
   「レースだから車乗れないんだ。ありがとう。」
などと、想像半分と思い込み半分で会話が成り立つ。(成り立ってるのか?)


 またある村での店のおじさんとは、冒頭いつもの会話(どっから来たんだい~日本人だよ)で始まり、「ハポネサ(日本人)か!じゃあKeikoAmigaか?」(※Keikoとはフジモリ元大統領の娘で2016年?の大統領候補でもあった。息子のKenjiも政治家で滞在中二人ともよくTVに出ていた。)と、たわいもないおやじジョークを飛ばして一人でハハハと笑っているのに付き合ったりもした。


 あと、ほんとうに子供がたくさんいて、家の軒先に大抵2人とか3人の小さい子供たちがわらわらと犬と一緒にたむろしている。物おじせずに挨拶してくるからこれまたかわいい。学校に行っているのかどうかもわからないが、子供たちはいつも家のお手伝いをしている。お店番してたりレストランならウエイトレスしてたりとかで、お勘定もちゃんと預かってみんなしっかりしたもんだ。あと、小さいながらも放牧の牛や羊の世話をしている子も高地ではよく見かけた。

 山奥で学校に行ってる子たちは遠くの学校まで足がないので、道で通りかかった誰かが乗せていってくれているようだった。日本の田舎ならまだありそうな気もするけど。ずっと変わらないでいてほしい風景だ。

 JaenMiguelがバイクを直してくれている間、高校生の子たちがなぜかいっぱいお店に集まってきて突然質問と記念撮影の嵐が始まった時もあった。みんな物おじしなくてこれまた素直。自分から自己紹介もちゃんとしてくる。集まってたわけはお向かいの倉庫でなにやら練習がもうすぐ始まるからとの事で、「見に来て~。」と連れられて行った。そこでしばらく伝統的な踊りを鑑賞したりなんかもした。

 そうそう、El Ciclistaにいると、Miguelの弟のWilliamだ、(電話を通して)叔父の何々だ叔母の何々だ、そして店の奥から父親の何々そして母親の何々、と次から次へと登場して私に紹介してくれる。ラテンの国は家族を大事にするとはよく聞いてるけど、こういうところからもその単位がいかに濃い密度なのかをうかがうことができる。





 ここでレースが終わったあとのCuscoでの様子も少し。
日の出に輝くインカ帝王Pachacutiの像。この像があるPlaza de Armasの木の下に例の犬歯も埋めて帰った。


リカバリージョグで登ったChrist Blancoとそこから見たCuscoの街。
 


キヌアはこんな植物からとれるというのを初めて知った。


通りはほとんどこういう石畳。

20本は軽く食べたであろう通りで売ってるTamale。温めてあってDulce(甘いの)Sal(塩味、豚肉入り)がある。トウモロコシの味が濃くてUSで食べるのよりずっと美味しかった。
観光名所、中央市場。市場以外にレストランやジュース屋が並ぶコーナーもある。Peru Coffeeを買って帰った。
 
 
 
おみやげものは常にカラフル。




~次回は最終回~



Thursday, August 10, 2017

ウルトラバイクレース IncaDivide 2017 レースレポート6



6.グルメ編



今回は何よりも得意な分野。



+++ おなか +++
 終始、全く問題なかった。
 お医者や他のレーサーからは「あんまりローカルなものは食べないほうがいいからね~。」と念を押されたのだけど、根っからの食いしん坊なので珍しいものを見るとついつい食べてみたくなる。特にPeruなんて健康食品のルーツとなってるものがたくさんあるので、より一層だ。そもそも海外でおなかを壊したことは無い。3,4か月間のメキシコ出張でも他の出張者が食あたりになったり下痢になったりしても一人だけ大丈夫だったり。ビールを飲みながら食べるローカルの屋台のタコスも、バケーションに行った時のお楽しみのひとつだ。そんな具合で、割とおなかは普段から鍛えられているのだ。

 食べることは脚力よりも大事だ。だって一日10時間以上も何日もバイクに乗っていたらどんなに食べても食べても身体に貯金は残らない。だから燃やす燃料がなくなると身体は途端に動かなくなる。何回か午後後半にえらく走るのがきつくなった時があったが、そんな時はいつも軽いハンガーノックになっていたんだと思う。だからおなかを壊さずに食べたいときに何でも食べれたのは、完走できた理由のひとつだ。



+++ 補給食 +++
 長いレースでは補給食は現地ですべて調達するしかない。朝とお昼は主にパンやバナナだ。EcuadorPeruもパンがおいしい。Panaderiaというパン屋さんに行くと特に朝なんかは焼きたてのいい匂いがして何個でも食べてしまいそうになる。甘いパン(Dulce)かしょっぱいパン(Sal)を確認していつも合わせて15個くらいは買って帰った。
 あと半月の形をしたEmpanadaも大好きだった。米国で食べるのよりも生地は少し甘めでむしろクッキーみたいな感じ。Polloだと鶏肉と野菜とゆで卵が入っていてCarneだと牛ひき肉と野菜だ。Empanadaが手に入った時は4つくらいはウエスト・バッグに忍ばせているので特にバッグが重くなる。
 Panaderiaが無くても村の小さな店には素朴な丸いパンが大抵ある。村のおばちゃんが木を燃やして家の窯で焼いたような小さめのピタ・ブレッドくらいなシンプルなパンだが、これがまた侮れず。薄いのだけどしっかりしてて噛めば噛むほど小麦の味がするパンなのだ。これにバナナを挟んでコンデンスミルクを垂らしたり、バターをたっぷりつけてそのまま食べたりした。

 そこら中に牛ちゃんがいるくらいだから、乳製品は充実していて、特にバターはねっとりしていて美味しかった。チーズは食感的にはしょっぱい固い豆腐のような感じ。






+++ フルーツ +++
 とにかく豊富。いろんなトロピカルフルーツがあって、Ecuadorなんてバナナ生産世界一だから20本くらいあるのが1USD。「3本だけちょうだい。」というと律儀におつりをくれたりする。パパイヤとかマンゴーも美味しいけどMarcuyaというパッションフルーツみたいなのはマクドナルドのサンデーのトッピングにもなってるくらいポピュラーなフルーツ。チーズケーキの上にソースとしてかかってるものが美味しくてよく食べた。



 Ecuadorでは‘甘いトマト’と呼ばれる野菜?フルーツ?があって、ジュースにするのだが
味はトマトとは程遠くその名の通り甘くておいしい。
 


 途中の買い食いではミカンをよく食べた。3個で30 centくらい。名前を忘れてしまった
けどデコポンみたいでHuallancaあたりのおばちゃんがみんな食べてた変わったシトラス。
心臓にいいというのでとりあえず食べておいた。フルーツスタンドで売ってたマンゴーア
イスはマンゴーピューレがそのまま凍らせてあって、暑くて乾燥した砂漠地帯を乗ってた
時には激うまだった。※ローカルのホームメードアイスはナイロンの袋に詰めて凍らせて
あるタイプ。もちろん水道水の水だろうからお腹の弱い人は避けるべし。



+++ スナック +++
 Juninで病院に行った後、小腹がすいたのでチーズを売ってるお店に入った時に食べた
Queso(チーズ)パンと温かいMacaドリンク。4,000m以上で寒くて乾燥した道を乗るのに
はもってこいのスナックだった。Macaドリンクは他に何が入ってるのかわからないけど、
控えめな甘みでトロっとしててお汁粉を飲んでるような感じ。滋養強壮・疲労回復が主な
効能らしいのでロングライドにはもってこいだ。




 EcuadorのスナックBolas De Verdeは、青いバナナ(プランテインという大きいバナナ)

をマッシュしたものの中に鶏肉とか野菜を包んで揚げたもの。味や食感は固いジャガイモ

のようで食べごたえがある。辛いソースやマヨソースをつけて食べる。エクアドルに来た

らやはりバナナを食べないと。


 あと、よく食べたのがFran(プリン)。大きい街ではカフェや屋台で見つけておきまり

のように食べた。その他ローカルな屋台の飲み物で一番好きだったのはキヌアドリンク。

Huncayoの夜飲んだキヌアドリンクはおいしかった。温かかくてほんのり甘くてキヌアと

パイナップルのつぶつぶが入っている。トウモロコシの発酵ドリンクであるChichaも悪く

はなかったけどキヌアのほうに軍配かな。


+++ メイン +++
 EcuadorPeruもチキン屋はポピュラーで幾度となくチキン屋に行った。チキンの焼い

たのにフライドポテトとミニサラダがついたPollo De BrasaPeruでの呼び名)は1/4サイ

ズのチキンで大体5,6USDくらい。
 どこで食べてもジューシーで外れがなかった。注文するときは胸肉かもも肉か選ぶこと

ができるのだが、いつも単語を忘れてしまい胸をパンパンっと叩いて“胸肉のほうね“と注文

してた。お持ち帰りのほうが時間が節約できるので部屋に持ち帰って残ったチキンで翌日

のチキンパンなんかも作ったりした。

 チキン以外の国民食としては、意外かもしれないがチャーハン。チキン屋でもどこでも

作ってくれる。醤油なんてどうやって手に入れてるんだろうと思ったりもするが、ちゃん

とチャーハンの味なのだ。山盛り出てくるから余ったのはチャーハンおにぎりとかにして

次の日のライドで食べたりもした。
 たまにニジマスがとれる村ではニジマスの揚げたものを、そうじゃなければ目玉焼き2

プラス、などどちょっと豪華にもしてみたりした夜もある。


 メインディッシュでの一押しは、何といってもコレ。Chicharon。ここでは豚の皮の揚げ

たものをいうのではなくて、豚肉の塊を揚げた料理のことを呼ぶ。ベジタリアンの人は聞

くに堪えられないかもしれないが、村のそこらへんの軒先で放牧されてる豚ちゃんたちが

そのままChicharonになっていくのだ。たまに「う、またうるさい犬たちか」と身構えると

ブヒーっとか言ってニッコリ微笑んできたりする。

 ある長いダウンヒルでどうしても頭に食べ物しか浮かんでこなかった時があって、こ

りゃもう何か食べるしかないなと思ってた時に村のおばちゃんが釜でChicharonを作ってる

のを見つけた。
 青空レストランではすぐお皿に盛ってくれて、食べるのは手だ。空腹のせいもあった

が、もう美味いのなんのって。ラードで揚げ焼きされた皮も脂もついた豚肉のかたまり、

一緒に調理されたジャガイモ、それとは別に茹でたジャガイモ、定番のMote(茹でたジャ

イアントコーン)、そしてライムでマリネされた玉ねぎ。
 身体の一部になっていくような大地の恵みとはまさにこの事。あの時の染みわたる感覚

はずっと忘れないだろう。



また食べたいなあ、あのアンデスの村のChicharon


レース後はお約束のセビッチェとピスコサワー。
はぁ~、下界に戻った♡



~次回に続く~

Wednesday, August 9, 2017

ウルトラバイクレース IncaDivide 2017 レースレポート5



5.ハプニング・トラブル、健康問題編



レース中に起こったちょっとした事件についてのお話。



+++ 高山病 +++

 10年以上前にCuscoに来た時は軽い高山病になって頭痛に悩まされたのを覚えていたので、今回Quitoでどうなるか多少不安はあった。が、まずは薬を飲まないで様子を見てみることにした。

 高山病の薬は頻繁に排尿を促す作用があるとの事だが、Quito1日目はとにかくトイレにばっかり行っていた。身体のシステムが自然に働いていたようだ。水を飲んでトイレに行って又寝てを到着した朝から繰り返して、午後後半には落ち着いた感じだった。ネットでは高地では水は1日4リットルくらい飲んだほうがいいとどこかに書いてあったが、そんなには飲めない。。。多分がんばっても飲んだのは2リットルくらいだろう。

 レース中は頭痛とか吐き気は全然おこらなかったにしても、むくみがとにかく酷かった。指は両手ともパンパンで顔は史上最悪にむくんでいった。バイクに乗ってると止まるのが面倒でついついトイレにいかないでおいてしまったのが悪かった。人生最悪にむくんでいた次の日からは、2,3時間おきにはちゃんと止まって出す努力をすることにした。そして、Cokeをよく飲んでいたけど補給は水だけにするようにした。そうしたら2日後くらいからはむくみは段々おさまっていった。

 それ以外の高山病の症状としては眠くなることで、これはもうどうしようもない。出来ることは飴をなめたり大声で歌を唄うくらいだった。



+++ しびれ +++

 むくみはおさまったものの後半は指がしびれ始めた。これは高山病ではなくてハンドルやブレーキを握っていることによりなる症状らしい。右手の薬指と小指がしびれて中指は腫れて痛みがあり関節がカクカクする。右足の指の一部も軽くしびれている。これは帰国した今(フィニッシュ後10日間経過)でもまだ同じような症状が残っている。Axcel曰く最低でも2週間は回復にかかる、との事。生活に支障はないのでとりあえず良いが、しばらく経過を見守りたい。どこかの神経が圧迫されているような気もしないこともない。



+++ 月のもの +++

 遠征一か月以上ともなると月のものが必ずやってくるはずなのだが、結局こなかった。49歳にして初めて止まった。か、もしくはこの機にあがってしまったのだろうか。。。

 レース後まともに鏡を見たら、身体の脂肪はほとんど落ちていて胸も半分くらいになってしまっていた。そこらへんもホルモンのバランスに関係しているのかもしれない。ちなみに、ローインパクトで乗っていたので、筋肉はさほどついてなかった。あんなに高地で毎日運動してたのだからどんだけパフォーマンスが上がっているのかと期待したけど、戻ってからボチボチ始めたランニングはえらい辛い。



+++ 病院はしご +++

 これはレース中最大のハプニングだったので、特に共有したいエピソードだ。 

 これは南米の他の国もそうなのだろうけど、エクアドルもペルーも犬だらけだ。野犬も多いのだが、ほとんどは野犬が家や店に住みついて家犬(いえ犬)となってるケースが多い。牛や羊の群れの横に一緒に歩いている犬を見るとDog Loverとしては何とも微笑ましい気持ちになるのだが、時にこの家犬たちは獰猛でたちが悪い。


 自分のテリトリー意識がものすごく強いので、前を通るバイクやオートバイ、時には車にさえも吠え掛かってくる。吠えるだけならいいけど歯を向きだして威嚇し、時にはアタックさえしてくるのだ。大型犬は自分のスピードを試しているふしがあり、こちらも相当全力でスプリントしないとぶっちぎれなかったりする。そして小型犬は隙を狙って足に嚙みつこうとする。また悪いことに一匹が吠えだすと近所のギャング犬たちが瞬く間に集まってきて集団で追っかけてくる。一度8匹もの大型&中型犬に上り坂で囲まれたことがあって、全力でヒルクライムしえらいゼーゼーした記憶がある。ちなみに、野犬はテリトリーがないので吠えてきたりしないし大抵は我関せずという態度だ。

 そんな中、事件は起こった。数日すればもう慣れっこになって、ペダルを回し続ければ犬だって噛みつこうにも噛みつけないという事を知ったので、寄ってきても“又だよ~。”という感じでやり過ごしていたが、例のEvil Gravel 100ではそうはいかなかった。下りでガタガタ道だったのでペダリングせずに少しおしりを浮かした状態でバランスを取りながら乗っていた。そこに数匹の中型&小型犬がギャンギャン吠えながら追っかけてきたその時、突然右足首に痛みが走った。その中のチビが噛みついてきたのだ。とっさに叫んでペダリングを始めたがもう遅し。傷からは血が出ている。


 ここから病院めぐりの‘余分な’旅が始まった。何故なら、例え家犬であってもきゃつらは狂犬病のワクチンなんか打ってるはずがないからだ。ネットで調べた限りだが、狂犬病は感染すると100%死に至る。一旦発症すると治療法はなく唯一できることは事前にワクチンを打っておくこと若しくは嚙まれたらその日からワクチンを数日にわたって打ち続けること。

 Evil Gravel 100の終わりのほうで夕方5時頃に噛まれたのだが、その日の夜目的地に着いた時はすっかり暗くなっていて街の中心地もえらく遠いところだったため、病院探しはやめて傷をきれいに洗ってバンドエイドを貼っておくに留めた。ネットで調べたら1日は猶予があるみたいなので次の日の目的地Cerro De Pascoの街でERに行こうと決めた。

 幸いにもCerro De Pascoには夕方4時くらいに着いたので、Hotelに入った後すぐに病院に向かった。が、地図に載ってるところには病院は無く、そこらへんの人に聞くが会話が成り立たずよく分からない。そこでローカルの乗り合いバスが停車してるところで「オスピタル!(Hospital)」と叫ぶと、「このバスに乗れ!」と誰かが誘導してくれた。言われるままにその運賃20 Centローカルバスに乗ると、街の反対側のえらい離れたとこに向かっていった。「う、やばい。どこ行くんだろう。」と思っているとバスの運賃集めのおばちゃんが、「オスピタルだよ。」と言ってドアを開けてくれた。地図で探してたその病院がそこにはあった。

 ERに行って看護師さんを見つけたので、こうこうこうでと説明したら。「今日はDr.はもういないから何もできないよ。明日の朝7時に来て。」と一言。「明日は朝出発してしまうから何とかお願い!」と頼んだが無理だった。また20 Centローカルバスで帰った後、明日の朝行くべきかどうしようか悩んだ。朝7時に行ったとしても遠くにある病院から戻ってきて出発できるのは9時くらいになってしまうだろう。Dr.7時に来てくれていればいいけどそんな保証はないし。。。次の日に240㎞以上乗らないいけないスケジュールだったので、結局朝病院に行くのはやめた。

 とりあえずいつもより早くCerro De Pascoの街を朝出発した。どうしたものかと考えていたが途中の街で病院を探せばいいんだ!と思いつき、次のやや大きな村で通りの人に聞いてみた。そしたら病院があるというではないか。「あー、これでもう大丈夫。」と安堵して向かった。今度はちゃんとそこにDr. がいたので、最初からiPhoneTranslator アプリに会話をタイプして翻訳しそれを見せた。Dr.はふむふむとうなづき別のDr.と話す。しばらくして今度はDr.iPhone にスペイン語をタイプして翻訳して見せてくれる。なんだか筆談ホステスな気分だ。

 「ここにワクチンはないから次の街Juninの病院に行ってみて。」と翻訳されていた。Dr.がまた筆談で「石鹸できれいに洗ってバンドエイドははらないでね。」とアドバイスしてくれるとともに紙のメモも書いてくれた。ワクチンが無くてガックリしたが仕方ない、Juninに向かおう。

 Juninは大きい街だったので病院の建物も大きかった。受付のおじさんは親切に「バイクはこの裏のところに置いておけばいいから。」と盗まれないような場所を案内してくれた。すぐにERに入れてくれて前のDr.が書いてくれたメモを看護婦さんに渡す。ほどなく若いDr.がやってきてメモを見て問診が始まった。ここでもまた筆談ホステス。

  ド:「いつ噛まれたの?」

  私:「一昨日の夕方5時。」

  ド:「この後はどこへ?」

  私:「今日はHuancayoまで行くからすぐBikeに乗って向かうつもり。先生、ワクチンはあるんですよね。打ってもらえますよね。」

  ド:「ワクチンはあるけど、今日から5日間連続で打たないといけないんだよ。Juninには5日間いる?」

  私:「いない、いない。この後すぐ出発するんだから。自分で打てるから5日分のワクチン全部ください。」

  ド:「君はナース?」

  私:「ナースじゃないけど打ったことあるからどうやるか知ってるし大丈夫。先生お願い!」

  ド:「残念だけど、医療施設でないところには渡せないんだよ。。。」

 再度お願いしてもやっぱりダメだった。Dr.は足首でこの傷だったらそんなに危険じゃないから、と言うのでしばらく考えてみた。“狂犬病にかかってるかかかってないかは50%の確率。狂犬病にかかっていたらその犬は10日間したら死ぬ。あの家犬がここ数日に狂犬病になっている確率は、根拠があるわけではないが10%。で、この足首の傷から感染する確率は5%以下。確率からいうとかなり低いはず。それに、Junin5日間滞在するなんてありえない。”と決断を下し、ワクチンは諦めた。Dr.は抗生物質ともうひとつ薬を処方してくれて、前のDr.と同じように石鹸できれいに洗うようにと指示した。ちなみに薬は2つ合わせても1USDぽっちだった。


 Dr.は私が日本人だと知ると、「あの小さい生きた魚をそのまま食べるのって本当?食べたことある?」と聞いてきた。白魚の踊り食いの事かな。TVか何かで見て余程センセーショナルだったんだろう。「無いよ~。でも日本人だから魚は大好き。あ、そうだレースが終わったら絶対セビッチェ食べてピスコサワーを飲むんだ!」と答えると、「セビッチェもピスコサワーもPeruのとChileとのあるけどどっちが好き?」とこれまた突っ込んだ質問。「うーん、Peruのしか知らない。でもPeruのセビッチェは大好きだよ。」すると、先生と看護婦さんは嬉しそうに笑った。看護婦さんが、「私もDr.Huancayo出身なのよ。すごく美しい街だから。」と言ってERを出るときに見送ってくれた。

 狂犬病で突然死ぬリスクは今も消えたわけじゃないけど、もういい。自分で決めたことだから、これでいい。

 

~次回に続く~