先日完走したウルトラバイクレース、IncaDivide2017についてのレースレポートです。
今回は伝えたい情報が多いので以下のようなカテゴリーに分けてお伝えしていきたいと思います。ウルトラバイクレース筋の方々からすると「え“?!」と突っ込みどころ満載な点もあるかもしれませんが、おばちゃんの未知の世界へのチャレンジの軌跡としてどうかご容赦を。
1. レースに至るまで
2. IncaDivideについて
3. レース展開
4. バイク・ギア編
5. ハプニング・トラブル、健康問題編
6. グルメ編
7. 旅情編
8. おわりに
本文に入る前に少しだけ自己紹介。
通称:Yaby(やびー)、本名:藪 良江。福井県出身。電話越しではおじさんに間違われる事もあったりするが正真正銘の49歳おばちゃん。長年New
York Cityに住んでいたが現在はLos Angeles在住。家族はアメリカ人の主人+2ワンs。41歳から始めたトライアスロンは今年で9年目。バイクより実はランニングの方が得意。Boston Marathonは今年で8年連続完走。
では、EpicなIncaDivide
2017のお話、はじまりはじまり~。
1. レースに至るまで
+++ きっかけ +++
なぜこのようなCrazyなバイクレースに出ようと思ったのか。それはいくつかの偶然の重なりから生まれたのであって、決して長年温めてきた夢とかそういったものでは全くなかった。
去年の終わりに主人の仕事の都合で南カリフォルニアに引越すことが決まり、当時NYの某日系企業でITの仕事をしていた私は当然LAオフィスで継続して仕事ができるものと思っていた。が!!!まさかの申請却下。やむなく退職して南カリフォルニアに引越し。そんな中で知人のNY在住アスリートAlexのFacebook(以下FB)のポストが目に留まる。
「ふうん、IncaDivideねぇ。アンデス山脈を3,500㎞。世の中にはこういうExtremeな事がやたら好きな人っているんだよねぇ。」というのが最初の印象。引越しのバタバタの中でもそのレースのポストがチラッチラッと登場してくる。引越後の新しい仕事探しも順調な中、そのFBのサブリミナル効果は徐々に効果を増していった。そして遂には、“今これをやらなければいつやれる!”と、すっかりインプットされるまでに至ってしまったのだ。つまりは、“年齢的にもタイミングもこんなことにチャレンジできるのはきっとこれが最後のチャンスだろう。”という内なる声だったというわけだ。そうして定職よりもバイクレースを選ぶことを決心した3月の終わりごろから準備は始まっていった。
+++ リサーチ +++
最初はBikingman.comのサイトの情報を隅から隅まで確認すること、そしてNews LetterやStravaグループ、FBのグループにも入り出来るだけ情報を集めた。それでも現地に疎い私には全然具体像が見えず、ようやくリサーチと呼べるものが始められたのは、モデルコースのStravaが送られてきた4月中旬。アスリートガイドは5月の上旬くらいに公開された。
レースのカットオフは26日目の朝6時。3,500㎞を丸25日間で終えるには1日平均140㎞(約90mile)走らなければならない計算で、途中何があるかわからないので1日分マチをとって24日目に完走するプランにした。そうすると1日平均146㎞(91mile)となる。まあ、不可能な距離ではない。
Stravaのモデルコースを地図とにらめっこしながら24日分のセグメントに切っていく。その際には距離だけではなくElevation
Gain(獲得標高数)も考慮してプランする。同じ距離でもヒルクライムが多ければそれだけ時間がかかるのでその日に完走できるコースプロファイルにしておかないといけない。でないと、それ以降にも狂いが生じてしまうからだ。又、その日の目的地は必ず宿泊施設がある村か街にした。IncaDivideや他のウルトラバイクレースのCompetitiveなレーサーはその日に走れるだけ走り夜は野宿、時々ホステルそしてまた走り続けるというのが当たり前のようだが、そんなワイルドスピリッツは持ち合わせてない。夜はどんなであれちゃんとベッドで寝たいのだ。
1日毎のコースマップをまずStravaで作成して、そのプロファイルを簡単な地図とともにWordで作成。これは同時にGarminやiPhoneが無くなってしまった時の最終マップとして印刷して携帯した。24日分のStravaマップはGarminにダウンロードしてナビとしても活用した。
+++ トレーニング +++
トレーニングは週に3、4日。週3日は契約でコンサルタントの仕事をしていたので、平日の残り2日間は約160㎞(100Mile)/3,300m(10,000ft) Gainを目途にしたロングライド、週末はご近所のサイクラーの皆さんとのグループライドやレース関係のリサーチ作業。たまにMt.Baldy(通称ハゲ山:Tour De Californiaのコースにもなっている)まで行き、登り片道20㎞(13mile)/1,500m(4,500ft)くらいのプロファイルを1往復か2往復した。いずれもスピード重視ではなく無理なく乗ってどれくらいの時間がかかるのかを確認することを目的に、そしてレース前1か月半からは実際のギア(荷物やその他アクセサリー)も装着してのトレーニングをしていった。
全てのアイテムがちゃんとバッグに収まるかも当然ながら確認。実際現地で積むよりも水や食料の分まだまだ軽いはずなのに、乗ってみると相当重く感じる。
高地トレーニングについは結局何もしなかった。行くからには3,300m(10,000ft)以上でないと意味がなかったし、日帰りで行けるそのようなところは近くにはなかったからだ。
ちなみに特別な食事コントロールはしなかったが、アルコールはレース2週間前に止めレース終了まで一切飲まなかった。
+++ 実父の急逝 +++
最初の危篤の連絡が入ったのは6月の第3週。村の遊び仲間と温泉に行ってた間ににひいた風邪がこじれて肺炎になり急きょ入院したらしい。そこからすぐに目覚ましい回復があって一旦は退院間近とまで話が落ち着いたのだが、容態は急変し6/19に急逝。6/20のお通夜開始ぎりぎりに福井の葬儀場に着いた。
当時も遊びに行ってたくらいだから頭も身体もまだまだ元気だった父は‘79歳で早すぎる死’とも言われたりしたが、長患いしたわけでもなく一番理想的なあの世への行き方で、むしろうらやましいとすら思えた。割と自分の好き勝手なことを優先するDNAは父親ゆずりなのだが、この世との別れ方もこうだといいなぁというのが正直その時感じたことだ。
焼かれた後の骨は老人の割にはいろんな部分がしっかり残っていた。父はスポーツは一切してなかったがこういうところも自分は実は父親ゆずりなのかもしれないと思った。納骨用の骨を拾ったあと、一緒にレースに連れて行こうと犬歯を一つ持って帰ってきた。
+++ 現地入り +++
レーススタートは7/1だったので、エクアドルの首都、Quitoには6/27の朝に入った。AeroMexicoでLos AngelesからMexico
City経由のレッドアイ便。Mexico Cityではバイクバッグを受け取って出発カウンターで又チェックインしなければならないという面倒があったが、実は往復ともバイク用のFeeは一切チャージされなかった。AeroMexicoの株が急激に上がった。
Quitoは3,000m(90,000ft)という高地なので、慣れるためには最低2日できれば1週間あると良いと言われているが、今回の4日間は個人的にはちょうど良かったと思う。初日は早朝着だったので、ホテルでほぼ1日は寝ていてその間水を飲みトイレに行き、を頻繁に繰り返した。特に目立った高山病の症状は現れず、普通の生活は全く問題なかった。持ってきた高山病の薬も飲まなかった。2日目は観光も兼ねて歩いたりジョギングしたりしながら中心地をまわった。。3日目は同じくレースに出るAlex、Andreasとレース主催者のAxelに2時間くらいのライドに連れていってもらう。この時は呼吸はさすがに辛かった。加えて排ガスが半端ないので咳もひどく出た。
+++ プレスリリース +++
レース前日にQuitoの新聞やラジオなどの取材や写真撮影があった。私は唯一の女性参加者という事もあり、インタビューを受けた。スペイン語は話せないので英語ができる人が通訳してくれた。
実は現地入りするまで何人参加して女性はどこくらいいるのか全くわからなかった。Stravaグループは100人くらいいたので、結構な人数がいるのかという思い込んでいたが、レースにサインアップしたのは17人だったらしい。その中でQuito入りしたフル参加者は11人、ハーフ(2,200㎞、StartはCajamarca, Peru)の2人の計13人。サインアップしたのも現地入りしたのも女性は私だけだった。最初聞いた時は不安とか驚きとかそういったものよりも、「じゃあ完走すれば初代Queenになれるんだよね!」とAxelに言った。他の女性レーサーをレース中トラックしなくても済むのも心の中では小さくガッツポーズだった。これから待ち構えている厳しいコースをよそによくそんな事考えていたなぁと思うけど、レースである以上これはCompetitionであって勝ち負けなのだ。
+++ 世界中から集まったレーサーたち +++
ここで参加者を紹介しておきたい。
フルの11人のうち、フランスからはAndreas。彼はレース主催組織Bikingman.comのメンバーでもあって、IncaDivideの主催者Axelとともに南米最長距離を最速で走破したギネス保持者である。そのAndreasとチームで走るのはNYのAlex。トライアスリートでありロードレーサーでもある。他にフランスからはJean-LucとBernard。欧州組あと一人はオランダからMarcel。南米組では、地元エクアドルからMarioとFelipe。ペルーからはRodney。アルゼンチンからはGustavoとFernandoの2名。で、最後に私。Jean-LucとBernardと私はアラフィフの中年組。あとはみんな多分30代でRodneyなんかは27歳!
ハーフ参加の2人のうち一人はオーストラリアから参加のShannon。もう一人はコロンビアのAlfonso。彼らも多分30代。
若くなければ参加できない訳ではないが、年齢層は参考までに。
+++ レースブリーフィング +++
レースブリーフィングはレース1日前。この時にSurvival MapやGPS、バイクシャツやバイクキャップが配られる。バイクシャツはいかにもフレンチデザインであまりにも素敵なので、フィニッシュまで持っていってくれるバッグの中に早々にしまってしまった。キャップも一人一人のレースナンバーが入った凝ったもの。
GPSはウルトラバイクレースで一般的に使われているタイプとのことで、SOSボタンもついている。GPSが全てトラックしてるのでズルして車に乗ったとしてもすぐばれてしまう。そんな事よりも、主催者チームは誰がどこにいるかを常にGPSから確認して、万が一SOSボタンが押されたときは一番近い警察や救急施設にすぐ連絡して救助に向かってもらうという仕組みになっている。但し、SOSボタンは生命に関わる危険が生じた時だけに使われるべきものである。
ブリーフィング自体は英語とスペイン語とフランス語で説明された。QA時間もあるので、どんな細かいことも聞きたいことはここで確認しておかなければならない。特にルールはTransAmericaやTransEuropeといった他のウルトラバイクレースとは違うので、ここで確認しておけて良かった。
+++ レース前夜 +++
レースは朝5時にスタート。前夜の腹ごしらえは夫婦でエクアドルの山登りに来ていたNYの友人夫婦と洒落たレストランでハンバーガーをほおばる。かなり大変な山登りだったらしく、高山病や雪山の苦労話を聞いていやがおうにもこの先のアンデスのコースとオーバーラップする。
その時に友人がくれたCoca Candy2粒をおまじないのようにポケットにしまって、Quito最後の夜を終えた。
~次回に続く~
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