Monday, August 7, 2017

ウルトラバイクレース IncaDivide 2017 レースレポート 3


3. レース展開



ここからは25日間のレースの軌跡をコースの走りどころ?とともにお伝えしたい。


+++ Start ~ Check Point 1 +++
 Quito(Ecuador)からVilcabamba(Ecuador)までの715㎞。この区間はいきなり16,625m分のヒルクライムがある。この区間は5日かけて完走予定とした。
 初日はAmbatoまでの152㎞かRiobambaまでの約200㎞/4,200m Gainかどちらにしようかセグメント切りの時考えたが、初日でまだ元気もあるだろうし朝も早くからのスタートだから一気にRiobambaまで行くことにした。結局これは正解で、この日のキツいプロファイルを基にそれ以降のコースもどれくらいの時間がかかるのかの目途を立てることができた。Riobambaまでは交通量は多かったがすべて舗装道でショルダー(路肩)も広かった。2つの大きな山越えがあり、2つ目は140㎞過ぎて2,300mから3,600mまで一気に登らなければならない最初の難関。1つ目の山越えでは早々にどこかに家のでっかいジャーマンシェパードに歯をむき出して追っかけてられて、かなりビビった。本当に今にも飛び掛かってきそうな勢いだったのだ。そしてずーっと追っかけてきて結構しつこい。
 1つ目のヒルを超えたら今度は激しい向かい風アタック。そこら辺の木々も傾いて生えてるからここは常に風の強いとこなんだろう。2つ目の山越えの前に通過した大きな街Ambatoは幹線道路が突然ブチ切れて迷路のようになっていた。ナビやマップに従っても変な迂回路っぽい道ばっかりだったので、何人にも道を聞いた。EcuadorもPeruも共通して、村や街に近づくと突然道路がガタガタになったり幹線道路が突然無くなったりする。最初はなんて街の設計が悪いんだろうと思ってたけど、どうやらわざとっぽい。きっとスピードを出させないようにするためなんだろう。
 Ambatoを過ぎたら2つ目の山越えがすぐ始まった。これは今でも思えているキツい思い出だ。スタート後初めての3,500m超えだったので、標高が上がるにつれて劇的に下がる気温や空気の薄さを初めて体験した。何度も止まってスナックタイムをとっていた時に後ろからFelipeが来た。ずっと先を走っていたはずなのだけどきっとランチでもゆっくり食べていたのだろうか。「もう2つ丘を越えればあとはRiobambaまで下りだからがんばって!」とMr.Smile(Felipeはいつも笑顔なのでRace中のニックネームはMr.Smileだった)が励ましてくれた。吐く息も白い山の頂点を超えてRiobambaのホテルに着いたのは夕方6時。大して長い休憩時間を取ったわけでもないのに13時間もかかった。カリフォルニアで同じようなプロファイルでトレーニングした時は8時間半弱。如何に荷物の重さと標高の高さそしてナビゲーションの複雑さが影響するかを初日に思い知らされた。


 2日目、Riobambaを過ぎてからはいよいよ山道に入っていく。牛や馬や羊の密度も高くなっていって人々のファッションも伝統的な様相になっていった。
   

 Ecuadorの山々はPeruより標高は低いが常に霧が立ち込めているか小雨が降っているかで気温は低めだ。ちょとしたダウンヒルでもインナーとジャケットとウィンドブレーカーの3枚着てないと冷え切ってしまう。3日目の滞在地Cuencaは近代的な大きな街だったので、かなり寒い思いをしたその日の夜にマクドナルドで熱いコーヒーが飲めた事は強烈に覚えている。

 Check Point 1のVilcabambaには午後早めにチェックインすることができた。偶然Jean-Lucも同じくらいに到着したので、一緒に記念撮影。この日は先に進まずにここでリラックスすることにした。Vilcabambaは大きな観光バスも寄るちょっとした観光地で所謂Gringoたち(白人系外国人をローカルの人たちが表現するときに使う。蔑称とも言われているが、ある地域では私も気軽にGringa!と挨拶されたのでそうでもないのかなぁと思っている。)が道で露店を開いていたりカフェを経営したりしている。




  Check Point 1までに一人DNF




 +++ Check Point 1 ~ Check Point 2 +++
 VilcabambaからCheck Point 2のCajamarca(Peru)は正に南米ライドの醍醐味(?)満載だ。この区間はハプニングとドラマの連続、にもかかわらずカットオフはぎりぎりの時間設定だったのでプレッシャーもこの区間が一番大きかった。
 まずVilcabambaから次の目的地である国境手前の村Zumba(Peru)までは天気が非常に悪く、すなわち道路の状態も比例して悪い。土砂崩れが次から次へと現れ、泥がタイヤとブレーキとフレームに詰まって押して歩くこともままならない事もが何度も。その度に棒で泥を押し出して何とかホイールが回るようになるまで掃除したりしていたので時間も相当費やした。そうかと思えば次に現れたのは小川と呼ぶにはおこがましいくらいの激流と大小の岩々が広がる道(モデルはこれまた偶然居合せたJean-Luc)。




 1,500mを雨の中一気に下るダウンヒルがあるのだが、ここは恐ろしく寒くレーサーの誰もが凍えたポイントだった。私はPatagoniaの完全Water Proofのジャケットを3枚の上に着て手袋2枚にゴム手袋もはいて何とか低体温症までには至らなかったけど、下界で着替えた時はやはり全身がかじかんでいた。そして、最初のメカニックトラブルのこの地点で発生。雨でブレーキをずっとかけていたので、リアのブレーキパッドが片方すっかり溶けてしまったのだ。ブレーキがちゃんとかからない状態で濡れた路面を下るのは途中から本当に恐怖だった。そして両手の指も悲鳴を上げていた。この後Zumbaまでは泥道を10㎞ほど上らなければいけなかったが、ほとんどは押して歩いた。夕暮れになってもう少しで村に着くだろう頃、車からZumba村のおっちゃんたちが「お姉ちゃん、どこ行くんだい?Zumbaか?乗せてってあげるよ。」と言ってくれたが、「レースだから車のれないの。ありがとう。」と返した。「そうか、じゃあ村でな~。」と言って去っていった。レース始まって最初の悲壮感に包まれながらもZumba村に着いて軍施設を見た時にはPeruに段々近づいているんだと思い少しワクワクした。ホテルも割とまともだったのでがっつりチキンとポテトを食べて栄養補給し、次の日に備えた。

 さて、ブレーキがこのままではこの先のレースは続けられない。幸運にも次の目的地Jaenにはバイク屋があった。IncaDivideチームにバイク屋の情報をWhatsApp(Messengerアプリ)で教えてもらい、ネットで何時に店が閉まるかをチェック。「夕方6時かぁ。185㎞乗らないといけないから朝は早めに出よう。」バイク屋のWebSiteにEmailもあったので、“今こういうレースをしていてブレーキパッドを取り付けてほしい。明日Zumbaからそこに向かうのだけど6時までに何とか着くようにがんばるからどうか宜しくお願いします。” 的な内容をGoogle Translateのアプリでスペイン語に変えてメールしておいた。その日の夜に交換できるのと次の日の朝になってしまうのとではスケジュールに大きな違いが出てきてしまうので、どうしてもJaenに着いたその夜に取り付けたかったのだ。ブレーキは何もないとホイールと擦れてガリガリうるさいので、とりあえず応急処置として持ってきていたキネシオテープで巻いておくことにした。



 朝暗いうちに霧のジャングルの泥道を走る。国境までは10㎞弱なはず。明るくなってほどなく、小屋が見えた。エクアドル側の国境警備隊の小屋だ。パスポートを見せて若い兵士たちと雑談。「どこまで行くの?さっき一人通って行ったぞ。君で全員で9人だな。」私はGarminを見せながら、「こんなに上って来たんだよ~。あとはPeruまで下りだよね?何キロくらいかな。」と話す。Peruとの国境まではまだ少しあってガタガタな泥道だ。最初の関門を通り過ぎてしばらく行くと道は下りになって、押すのをやめてそろそろと乗り出した。たまにガタンとなったけど転ばずには済んだ。ちょっとした分かれ道でGarminを確認しようと思ったら、無い。。。一瞬サーっと血の気が引いていった。ついさっきまであったのだから来た道500mの間くらいはなず。さっきガタンってなった時に飛んだに違いない。と、来た道をバイクを押しながら隈なく探した。そんな小さいものでもないし落ちてればわかるはず、と2往復くらいしたが結局見つからなかった。その間警備隊の兵士やローカルの人たちが何人も歩いていたので誰か拾ったのかもしれない。Jaenには6時までに行かないといけないし、もう無いものは無い。あきらめて3往復目はせずにPeruの国境に向かうことにした。


 GarminはMapが全部入っているライフラインだったので相当がっくりしたが、“これがないとレースが継続できない訳でもない。PlanB PlanB。“と言い聞かせている途中で後ろからバイクがやってきた。Fernandoだった。Garmin無くした云々かんぬんと会話した後別れたが、彼は太いタイヤのマウンテンバイクだったのでさっそうと泥の砂利道を下ってすぐ見えなくなってしまった。「いいの、いいの。もうすぐだし歩いてゆっくり下ろう。」と声に出して自分のバイクに言った。

 EcuadorとPeruのイミグレーションをそれぞれ通過して橋を渡ったらそこはもう雰囲気も異なるPeruだった。道は急に舗装されたものになった。ここからはiPhoneのオフラインマップ、maps.meを使ってナビしていった。どういう仕組みがよく知らないけどオフラインマップは例えシグナルが立ってなくても自分の位置をちゃんと認識してくれる。これがなかったらクスコまでは絶対たどり着けなかっただろう。国境からは1,000m以下の亜熱帯地域をひたすら走る。蒸し暑い。バナナとかパパイヤとかアボガドの木が並んでいて、田んぼも広がっている。田んぼ仕事の牛もいて東南アジアに似たような風景だ。Jaenの手前50㎞の街ではたむろしていた兄ちゃんたちが私を見つけると後からスクーターで追っかけてきて、並走してスマホで動画を取りながら質問を浴びせかける。なんかよく分からないけど適当に答えると、なんちゃらBien!と言ってまた並走する。多分Jean-Lucとか前のレーサーについても録画したんだろう。少しウザかったので途中でもうあっち行ってくれとお願いした。その地点ではもう5時くらい。“あぁ、6時にはもう間に合わない。金曜だしお店なんてすぐに閉めちゃうかもしれない。いや、でもできるだけの事はやろう。”等と葛藤を繰り返しながら走っていった。
 Jaenの街の明かりが遠くに見えるようになった時には6時も過ぎていて、ライトが必要な程すっかり暗くなってしまっていた。交通量も段々増えてきてショルダーにもいろんなゴミが散在していたりアスファルトが欠けたりしていた。そのせいで後ろがどうやらパンクしてしまったようだ。ボヨンボヨンするがタイヤがしっかりしていたため、残り10㎞程度をそのまま走ることにした。Jaenの街中に入ってアグレッシブなTukTuk(3輪Taxi)をよけながら、ここでもないあそこでもないと迷いながらたどり着いたのはもう7時近く。でも明かりがついていた。店はまだ開いていた!厳密にいうとEl Ciclistaの店長Miguelはメールを見て待っててくれたのだ。そしてそこには世界中からバイクで旅行しているサイクラーたちもいた。Columbia、France、England。「Cuscoまで?いやあ、すごいレースだよねぇ。朝Zumbaから来たの?それ私たち3日間かけてきたルートだよ。お疲れさん。」などと声をかけてくれる。店長MiguelはShimanoのブレーキパッドを持ってきて、「Shimanoのこれが一番いいからさ。ブレーキも調整しておいてあげる。パンクも直さなくっちゃね。」とブレーキパッドのお金だけで全部やってくれた。この日は朝からいろんな事があったが、それゆえに涙が出るほどありがたかった。明らかにEl Ciclistaはレースの中でのGame Changerだった。ここで直せなかったらCheck Point 2通過はこの時点では厳しいものとなっていたからだ。





 無事ブレーキパッドが新しくなって次へ向かうはCutervo。ここはまた最大の難関だったのだ。なぜなら砂利道どころかドロドロのぬかるみの登り坂が50㎞に渡って延々と続くルートだからだ。先頭をきってものすごい速さで飛ばしていたMarcelですら、この50㎞に8時間かかったと言っていた。私のバイクでは歩くのはもちろん押すのもままならないかもと覚悟していたら、IncaDivideチームからこの区間はあまりにもコンディションが悪いので車で行って良し、との連絡があった。車に乗りながら道を見たが、ほぼ、いや確実にここでレースは諦めただろうと思った。この泥はもはや私のバイクは押しても進めない。写真では乾いているように見えるが実際はチョコレートフォンデュみたいな感じだ。自力で登り切ったRodneyとMarcelには本当に敬服する。車中一緒だったJean-Lucに「この工事で来年にはきっと舗装されてきれいな道になってるんだろうねぇ。」と話すと、「そうだねぇ。でも来年はもう来ないし。」と笑って答えた。



 Cutervoからは部分的に砂利道や工事中の泥道があったが、まあ何とかやり過ごせるレベルだった。Check Point 2のCajamarcaは3,500mから一気に1,000m弱のダウンヒルのあと現れてきた。空港もあるくらいの大きな街なのできれいなホテルや洒落たカフェなんかも多く見られた。今日は晩ごはんの選択肢が増えそう♪と心が躍る。が、夜は結局ここでも無難にチキンとポテトで終えてしまった。このくらいから体調に異変が見えてきた。この日は4,000m近くまで徐々に上がっていったので高地で長く乗っていた。初めて高山病の症状である眠気が襲ってきた。おまじないのCoca Candyで何とかやり過ごせたもののCajamarcaでは指や顔がひどくむくみ始めた。これも高山病の症状のひとつらしい。


    Check Point 2までに3DNF。




 +++ Check Point 2 ~ Check Point 3 +++
 CajamarcaからCheck Point 3のHuaraz間はいよいよ4,000mの山越えが登場。加えて、泥や砂利道の比率も多いアドバンスな区間である。HuamachucoからCachicadanの峠では遂にアンデスの雪山登場。周りの景色も、木も生えていない乾燥した大地に牛や羊が放牧されているものにすっかり取って代わっていった。3,500mを超えるとちょっとした坂でも本当に進まない。まるで後ろに‘こなき爺’が座っているかの如くとにかく重い。多分スピードは4mph(時速6.4㎞)くらいしか出ていなかったのではないだろうか。

 車もあまり通らない遮るものも殆ど無い天空の大地を走っていると、なんだか自分がどこにいるのかがわからなくなる時がある。それでもゆっくりペダリングしていくと、そのうち景色はかわってまた別の世界が現れてくる。アンデスは不思議なところだ。


 Cachicadanの手前10㎞はじゃりじゃり石ゴロゴロの坂道だったので途中でシューズに履き替えて臨んだ。暗くなる前に村には着いたけどそんなこんなですっかり疲労困憊していて、加えて泊まったHospedajeも強烈なところで眠りもいまいちだったために、次の朝は指も顔もむくみは最悪となっていた。

 Cachicadanの後もまだまだ試練は続く。朝っぱらから50㎞の砂利道。なので朝っぱらからランニングシューズ。幸いにも天気が良くてドロドロになっていないのだけは救いだった。




 砂利道が終わったらやっと舗装した道が現れてスイッチバック(つづら折り)の超ダウンヒルが始まった。ブレーキを持つ手は相変わらず疲れているけど舗装された道でしかも下りだからこれ以上文句は言えまい。横はガードレールも無い崖だからそれだけは要注意。シューズがクリップインされてるのでバイクがズリ落ちるか崖側に立ちゴケしたらもうそれで最後。考えるだけで恐ろしい。IncaDivideチームがGPSで見つけてくれる以外誰も気付かないだろう。そこを下ってる間に向こうに見える景色。それはまるで今下ってる道を鏡写しにしたような上り坂。ま、まさか下った後はアレを。。。



こんな山奥に幹線道路が何本も通ってるはずがないので、その推測は大当たりであった。“下ったら上る”、それがアンデスの鉄則なのだ。

 Pallascaまでのスイッチバックもなかなかだったがそれ以上に強烈なパートがHuarazまでにあった。それはCanon Del Patoと呼ばれるところで、その名の通り渓谷。ただの渓谷ではなくって、川までドロップしてる崖と一車線しかない道路、そして何十個もある真っ暗なトンネル。ガードレールはもちろん無い。↓はAlfonsoから借りてきた写真。短いけど幅が狭くて原始的なトンネルという事がわかるだろう。


 強烈に怖かった体験。それは、長いトンネルでカーブがあるから先が見えず(ライトはつけているので3m先は見える)全くの漆黒の闇に包まれた時があった。車来ないでほしいなぁと思ってた矢先に遠くからガガガーという音がしてそれが段々大きくなっていく。前から来てるのか後ろから来てるのかはまだわからなかったけどそれが普通の車でなくてトラックであることは音からわかった。カーブだしバイクのライトなんて向こうからは絶対見えるはずないので、ここで立ちゴケでもしたらもう終わりだと瞬時に思った。それ故に落ち着いて両方のクリップを外してから、できるだけ壁に身体とバイクを寄せてジッとしていた。トラックは前から来て、突然私を見つけてビックリしたかのように直前でクラクションを鳴らして通り過ぎて行った。ふぅ。。。胸を撫でおろしてまた走り出したが、当分はクリップインするのは止めた。

 そんな怖い思いはしたものの、この日のセグメントのプロファイルはそれほどではなかったので、Huarazには3時くらいには到着した。Huarazでボロボロになったクリートを買い替えたかったが、あいにく開いてたバイクショップには置いてなくって別の大きいほうのバイクショップは2つとも閉まっていた。それでも次の村には向かわずに観光地であるHuarazの街を少し散策することにした。銀行でキャッシュをおろし、露店で手袋を買って、フルーツとかフラン(プリン)とかうずらのゆで卵とか食べて、ホテルに戻ってからスーパーで買ったキッチンペーパーでバイクを掃除した。


☆☆☆ ハーフタイム ☆☆☆
 ここでちょっとハーフタイム。1日をどのようなスケジュールで過ごしているかをご紹介したい。

 1日の始まりは朝5時。起きたらメッセージをチェックながら朝ごはん。パン3個とバナナ2,3本とマンゴーネクターかチョコミルクか水。歯磨きして荷物をパックして再度ルートとプロファイルをチェックして出発するのが5:45くらい。30分くらいすると陽が出てくるのでそれまではライトをつけて乗る。乗る距離が短い日は陽がでて明るくなる頃に出発。お昼は特に時間を取らない。パンとかバナナを食べてトイレ(小)して、を大体2時間おきに繰り返す。午後後半になって乗るのに飽きてきたらミカンを買い食いするとかして小休止。長距離の時は大抵目的地に着くのは夕方6~7時になってしまうが、夕方6時半くらいまでは辛うじて明るいので、ほとんどはそれまでに着くようにしている。

 ホテルやホステルに着いたら、IncaDivideチームに今日は終わりのメッセージを打ってからシャワー。そのあとは洗濯タイム。洗ったものをタオルドライして部屋の中に干す。Hospedajeとかだと乾かすひもがあるので外に干す。乾燥してるので次の日には大体乾いている。ごはんを食べに外に出てその際に次の日のパンやバナナや飲み物を仕入れてくる。戻ったらFBでレースレポートをポストしてから次の日のルートやプロファイルを確認。具材がある時には次の日のバナナパンやチキンパン(パンの間にはさむ)を仕込んでから歯を磨き、全身ストレッチして夜10時には消灯。

 を、25日分繰り返したというわけだ。25日は長いけど結局は1日1日のリセットの継続にすぎない。






 +++ Check Point 3 ~ Check Point 4 +++
 この区間はIncaDivideの真骨頂、いよいよ5,000m近くまで上るYanashalla Passがあり後半は4,000m以上の高地を100㎞くらい走り続けるプロファイルがある。加えて苦手な砂利道がそれらの間に約160㎞登場。盛りだくさんすぎてうれし涙が出るというもんだ。そしてこれが最後のCheck Point。この区間が終わったら残りはフィニッシュのCuscoまでの1区間。まさにそれを飾るに相応しい高難易度のコースだった。
 Huarazは雪山登山として有名で世界中から山登りにくる人たちや専門の店が街であふれていた。確かにこうやって間近に雪山がそびえたっていると、登ってみたいなぁという気持ちになる。





 Yanashalla Passまでは3,000mのHurazから始まり4,670mのトップまで約140㎞を上り続ける。例のごとく3,500mを超えたころからスピードはガクンと落ち4,000m近くになると眠気が徐々に襲ってくる。空気もとても乾燥してるのでCoca CandyとかHallsとかをなめて眠気と喉のケアをした。下りになっても眠いままなので今度は一人カラオケで目を覚ます。上りは息が上がってしまうけど下りなら大声で歌える。だが、問題は歌詞をよく覚えていないという事だった。昭和終わりからバブル時代のラインナップを片っ端から歌ってみた。が、完璧に歌詞が出てきたのはドリカムの未来予想図IIだけだった。さびの♪きっと~何年経っても~♪を歌い始めると感極まって涙が出てきた。アンデスで歌うのはまた格別だ。



 ここまでは計画通りに日程をこなしてきたが、Huaraz以降の1日目でとうとう狂いが出てきた。本当はLa Unionまで行く予定だったのだが高地ライドで結構時間がかかってしまった。既に暗くなった上に手前10㎞が悪路のLa Unionは危ないのであきらめて、20㎞手前のHuallancaで泊まることにした。その次の日はレース中一番記憶に焼き付くセグメントとなった。後で、“Evil Gravel 100 (one hundred)” (魔の砂利道100マイル)とネーミングしたのだが文字通り砂利道の上りと下りが約160㎞。何やら今年の冬に道路がガタガタになったのでアスファルトを殆ど全部剥がしてしまったのだそうだ。来年全舗装する予定との事。Jean-Lucじゃないけど、うーん来年はどうかな。。。上りよりも実は 下りのほうが大変だ。何故ならブレーキは握りっぱなしでバランスを取りながら瞬時に道を選んで進まないといけないからだ。又、カーブを曲がると突然牛や羊の群れが道をふさいでいたりするので全くもって油断ならない。そして、ここでは大変な事件が起こった。これは後のトラブル編で詳しく書きたいと思うのでお楽しみに。

 魔の砂利道100マイルが終わると次は2,000mから4,500mまでを一日かけて一気に上がるクライム・デー。1日で周りの景色が全く違うものに移り変わっていくのを見るのは興味深い。Garminはないけど景色でどれくらいの高度か大体わかるまでになった。3,000mあたりまでは木々も高く畑も多い。そこから段々樹木が草木に置き換わって、3,500mを超えると草と牛か羊しかいなくなる。4,000m以上は岩肌がもっと目立つようになって牧畜の数も減ってくる。リャマ(アルパカ?)なんかも登場してくる。



 この日の目的地はCerro De Pascoという約4,400mの天空の街。初めて4,000m以上のところで宿泊したわけだが、夜はまあ寒いのなんのって。動悸もバクバク早くなっていて、ここにきて初めて空気が薄さが症状に出るまでになった。
 Cerro De Pascoは朝早めに出発した。何故ならこの日はCheck Point 4のHuancayoまでの約250㎞を完走したかったからだ。良いことにコースプロファイルは下り基調のローリングヒルで全部舗装道。走っていると、途中で後ろから誰かに名前を呼ばれる。ハーフ参加のAlfonsoだった。彼は割と近くを走っていたようだがこうして遭遇するのは初めてだった。追い越したり追い抜かれたりを繰り返しつつ我々はともにHuancayoに向かった。途中、陽が落ちて暗くなったけどHuancayoまでの道はショルダーが広く舗装も良いのでそのまま進んだ。18日目のこの日、Check Pointのホテルに到着したのは夜8時くらいになってしまったがここでLa Unionの遅れを取り戻せたのは良かった。何よりもHuancayoは大きな街なのでCheck Pointにもなっているホテルはこれまでで一番設備がよく気持ちいいものだったし、外では夕飯や次の日のパンのチョイスもたくさんあった。こういうのは割と重要なアイテムなのだ。最後のCheck Point通過で少しだけフィニッシュが意識できるようになった。


Check Point 4までに2DNF。ちなみに最速Rodney13日でCP4クリア。






 +++ Check Point 4 ~ Finish +++
 いよいよ最後の区間、フィニッシュのCuscoまでの820㎞。好条件としては全て舗装道。難しいのは約4,000m級を計6回上がって下ってを繰り返すこと。ここではメカニックトラブルに悩まされることになる。まずはAyacuchoあたりでタイヤがパンクしてたようでその夜にバイクやホイールをキッチンペーパーで拭いていた時にリアが少し柔らかいのを偶然気づいた。次の日替えたチューブで翌日乗るも、30㎞したらボヨンボヨンしだして又パンク。タイヤの表裏の表面をよく確認して別のチューブに替えるもまた徐々に空気が抜けていく。これまでパンクしなかったツケが一気に回ってきた勢いだ。幸いにもこの日の区間はそれほど長くなかったので、だましだまし乗りながら夕方ホステルに入りじっくりタイヤとチューブをチェックした。チューブのパッチを貼ってあるところに又穴が空いていたのを発見。もうこれはタイヤがおかしいとしか思えず、多分、中に細い針金かなんかが埋まってしまっているんだろうと思った。何も見つからなかったけど予備のタイヤに変えることにした。それからは特に問題は起こらなかった。
 別のトラブルとしてはリア・ディレイラーが立ちごけした時に少し内側にずれてしまって、一番大きなカセットに切り替えるとチェーンが中に落ちてしまうようになった事。悲しいことにこの日は4,200mくらいまで60㎞を一気に上がるプロファイル。一番軽いギアが使えなかったのは厳しかったが、無ければないで何とかなることも同時にわかった。幸運にもその日の目的地Andahuaylasは大きな街でバイク屋もあったので、持っていったら調整してくれた。微妙にまだスリップするものの一番軽いギアは何とか使えるようになり、残り3日の山越えも何とかなりそうになった。
 Andahuaylasの後は、Abancay(147㎞)、Limatambo(112㎞)、Cusco(74㎞)だ。トラブルが続いたので、最終日以外は自分の脚でバイクを押してもどうにも届かない距離ゆえに慎重に乗るようにした。Abancayからの交通状況は最悪で、タイヤが6列もある大量のジャガイモを積んだ大型トレーラーや観光バスがひっきりなしに通る。それはまあいいのだが、最悪なのは反対車線を走るそれらの大型自動車は抜く先にバイクがいても躊躇せずに突き進んでいく事だ。私からすれば自分に向かって突っ込んでくるというわけだ。ショルダーの一番右端をソロソロ走るもその間50㎝くらい。これには参った。牛ちゃん達だって危険だ。



 最後の宿泊地Limatamboに入った時に、ようやくCuscoにたどり着けるという確信が出てきた。あと70㎞くらいなら例えバイクに何かあったとしても引いて走っていける距離だったからだ。カットオフは26日の朝6時。25日の朝6時に出発したら24時間ある。そして走れるシューズもある。自分はサイクラーである以前にランナーだから、走ってでも最後までたどり着く覚悟がある。

 最終日、Cuscoに近づくにつれて車も多くなり沿道にはお土産やも多く並ぶようになった。しかし今日ばかりは寄り道しない。お昼過ぎCusco入りできる計算で幸いにもバイクのトラブルは発生しなかったが、手前の街では大規模な住民デモがあって警察が道路を遮断していた。バイクは通してくれたのでそのままCuscoに向かって引き続き進む。“Cuscoにようこそ”のサインが見えていよいよ街に突入。が、最後の最後にまたチャレンジが。フィニッシュラインであるインカ王Pachacutiの像があるPlaza de Armasがある市内中心部は幹線道路から離れていて、道順がまたわかりにくい。本当は曲がらないといけないところをミスしてしまい何だかどんどん離れて行ってしまった。止まって地図をよーく見て細い石畳の道をあー行ってこー行って時に逆走しなら向かう。Plaza de Armasのコーナーにきた時に“Yoshi!”と誰かが呼んだ。Axcelが見つけてくれたのだ。最後の地点まで誘導してくれて、そこにはIncaDivideチームとずっと前にフィニッシュしたRodneyとJean-Lucも来てくれていた。「This is it? This is it?」と聞いた後、「やったーーー!Finally!」と叫んだ。この日は距離も短くそれほど疲れてもいなかったので何だか完走したという実感がわかなかったが、スタンプを押してもらってGPSを返したらようやく、“終わった”実感が湧いてきた。これらの写真はIncaDivideチームDidierが撮ってくれたもの。 

 IncaDivideチームには心から感謝。厳しいサバイバルレースではあったものの、彼らは‘ハート’をもってサポートし続けてくれた。きっとそれは他のウルトラバイクレースとは全然異なるものなのだろうと想像する。そして、一緒に戦ったフルの10人とハーフの2人。この厳しいレースを世界の有志たちと共有できたのはかけがえのない経験だ。全員に心から称賛を送りたい。






~次回に続く~



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