Friday, August 11, 2017

ウルトラバイクレース IncaDivide 2017 レースレポート7




7.旅情編

これはレース以外のちょっとした事のメモ。



 大抵の人は、「南米?大丈夫?」と言う。私も隠し金をいろんなところに入れておいたりして、いざとなったら20ドルくらいは渡せるようにいつでも出せる財布に入れておいたりもした。でも、そんなシチュエーションはめぐってこなかったし、むしろローカルの人々にいつも助けてもらってばかりだった。


 道を聞いただけでも、“そこ。”っていうだけでなくて、「そっちだよ。こんなこんなだから気を付けてね。」とか、CuscoPlaza de Armasに行く直前もおじいさんに道を聞いたら「ここをまっすぐに行けばいいだけだから。でも逆走で車も多いから歩道を走りっていきなさいね。」とかアドバイスしてくれる。そんなんだからあの25日間は毎日人々とのふれあいの連続だった。EcuadorPeruもいつもいつも人々は温かかった。


 エクアドルでは、Quitoで泊まったHotel Muros Plaza Quitoのオーナーはえらい大変なレースに出ることを知って朝食にオムレツを卵4個ぐらいで作ってくれたり、スタートの朝も4時とかですごく早かったのに先に起きて見送ってくれたりとか。そして、Quitoのサイクラーの人たち(JoseCeciliaChris)は、スタートしてからしばらく一緒にしばらく並走してくれたりとかもした。


 スペイン語がわからない私にも、どんなお店も銀行ですらも誰もが親切で正直だった。Cajabambaのフルーツ売りのおばちゃんは、1ドルぽっちのバナナでさえお釣りのコインわざわざ探してきて渡してきた。3本で1ドル払うっていうつもりだったんだけど。ありがとう。


  他に親切だったのは、レース中3回立ちゴケしたのだけどいつも誰かがすぐ寄ってきて助けてくれた事。3回目は、激坂を上がろうとしてる時にリアチェーンが落ちてしまってロックされた状態になってしまいそのまま道で左に倒れていった。幸運にも後ろからは車が来ていなかったのだがちょうど反対車線からは乗用車が来ていて、中に乗ってた二人がわざわざ車を停めて出てきてくれた。クリップを外したりバイクを起こしたり助けてくれて、ケガはないかとか水飲んだらとか車で乗せて行ってげようかとか、まるでプライベートクルーのようだった。

 人々は話好きなので、そんな助けてもらった時や小休止でお店に寄ったときはちょっとした会話が始まる。スペイン語ができないながらも適当に話す。例えばEvil Gravel100途中のある村では、売店でミカンを買い食いするところにPoliciaの兄さんらがその隣にちょうど居合せた。叫んでも店の人が誰も来ないからPoliciaの兄さんがそれらしき人をわざわざ呼んでくれた。ミカンを食べていると、こんなような会話が始まる。
 おばちゃん:「どっから来たの?」
 私:「USAだよ。でも日本人だけどね。」
 Policia兄さん:「どこまで行くの?」
 私:「今日はHuanuco。でも最後に行くのはCuscoまで。」
 Policia兄さん:「Cuscoか!そりゃあ遠いな。他にはいるのか?」
 私:「他にレースしてる人はいるけど、もっと先走ってるよ。」
 おばちゃん:「(Policia兄さんに向かって)、あんたの嫁にちょうどいいんじゃね?」
 Policia兄さん:「(おばちゃんに向かって)、日本人がこんな山奥に嫁に来ないよ~。」
 Police兄さん:「だんなはいるのか?」
 私:「いるよ、USAの家に。アメリカ人だよ。」
 Policia兄さん:「道中ひとりで大丈夫なのか?途中まで乗せていってあげようか。」
 私:「大丈夫だよ。でもこのガタガタ道はもう勘弁だけど。。。」
   「レースだから車乗れないんだ。ありがとう。」
などと、想像半分と思い込み半分で会話が成り立つ。(成り立ってるのか?)


 またある村での店のおじさんとは、冒頭いつもの会話(どっから来たんだい~日本人だよ)で始まり、「ハポネサ(日本人)か!じゃあKeikoAmigaか?」(※Keikoとはフジモリ元大統領の娘で2016年?の大統領候補でもあった。息子のKenjiも政治家で滞在中二人ともよくTVに出ていた。)と、たわいもないおやじジョークを飛ばして一人でハハハと笑っているのに付き合ったりもした。


 あと、ほんとうに子供がたくさんいて、家の軒先に大抵2人とか3人の小さい子供たちがわらわらと犬と一緒にたむろしている。物おじせずに挨拶してくるからこれまたかわいい。学校に行っているのかどうかもわからないが、子供たちはいつも家のお手伝いをしている。お店番してたりレストランならウエイトレスしてたりとかで、お勘定もちゃんと預かってみんなしっかりしたもんだ。あと、小さいながらも放牧の牛や羊の世話をしている子も高地ではよく見かけた。

 山奥で学校に行ってる子たちは遠くの学校まで足がないので、道で通りかかった誰かが乗せていってくれているようだった。日本の田舎ならまだありそうな気もするけど。ずっと変わらないでいてほしい風景だ。

 JaenMiguelがバイクを直してくれている間、高校生の子たちがなぜかいっぱいお店に集まってきて突然質問と記念撮影の嵐が始まった時もあった。みんな物おじしなくてこれまた素直。自分から自己紹介もちゃんとしてくる。集まってたわけはお向かいの倉庫でなにやら練習がもうすぐ始まるからとの事で、「見に来て~。」と連れられて行った。そこでしばらく伝統的な踊りを鑑賞したりなんかもした。

 そうそう、El Ciclistaにいると、Miguelの弟のWilliamだ、(電話を通して)叔父の何々だ叔母の何々だ、そして店の奥から父親の何々そして母親の何々、と次から次へと登場して私に紹介してくれる。ラテンの国は家族を大事にするとはよく聞いてるけど、こういうところからもその単位がいかに濃い密度なのかをうかがうことができる。





 ここでレースが終わったあとのCuscoでの様子も少し。
日の出に輝くインカ帝王Pachacutiの像。この像があるPlaza de Armasの木の下に例の犬歯も埋めて帰った。


リカバリージョグで登ったChrist Blancoとそこから見たCuscoの街。
 


キヌアはこんな植物からとれるというのを初めて知った。


通りはほとんどこういう石畳。

20本は軽く食べたであろう通りで売ってるTamale。温めてあってDulce(甘いの)Sal(塩味、豚肉入り)がある。トウモロコシの味が濃くてUSで食べるのよりずっと美味しかった。
観光名所、中央市場。市場以外にレストランやジュース屋が並ぶコーナーもある。Peru Coffeeを買って帰った。
 
 
 
おみやげものは常にカラフル。




~次回は最終回~



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